얌전한 고양이가 부뚜막에 먼저 올라간다
얌전한 고양이가 부뚜막에 먼저 올라간다
(大人しい猫がかまどに先に上がる)
見た目は大人しく慎ましそうに見える人が、実はとんでもないことをしていたり、ちゃっかりと自分の利益を確保しているものだという意味で、
「猫をかぶっていた人が本性を現す」あるいは、「人は見かけによらない」と皮肉る表現です。
猫は最近でこそペットとして人気がありますが、韓国ではかつてマイナスのイメージがありました。
韓国や韓国文化に慣れ親しんでいただくためによりよい友好関係を築くことを目指しています。
얌전한 고양이가 부뚜막에 먼저 올라간다
(大人しい猫がかまどに先に上がる)
見た目は大人しく慎ましそうに見える人が、実はとんでもないことをしていたり、ちゃっかりと自分の利益を確保しているものだという意味で、
「猫をかぶっていた人が本性を現す」あるいは、「人は見かけによらない」と皮肉る表現です。
猫は最近でこそペットとして人気がありますが、韓国ではかつてマイナスのイメージがありました。
께가 쏟아지다
(ゴマがこぼれる)
ゴマは茎を切って乾燥させるとさやが割れ、ゆするだけでも実がたくさん出てきます。
語源については諸説ありはっきりしませんが、ゴマは収穫するときに少しゆするだけでも実がたくさん落ちて作業するほうも楽しく感じることから、「楽しい」「幸せだ」という意味になったようです。
新婚夫婦の仲睦まじく幸せな様子をいうときなどに使います。
낫 놓고 기역자도 모른다
(鎌置いてㄱの文字もわからない)
ハングルのㄱ(キヨク)の文字と同じような形をした鎌を見てもㄱの字が分からないことから、「字が読めない人」や「無学である」「大変無知である」ことをいいます。
日本語の「イロハのイの字も知らない」と同じ意味です。
日本語の「あいうえお」にあたるハングルを가나다라(カナダラ)といいますが、その先頭にあるのが子音字ㄱです。
눈코 뜰 새 없다
(目鼻を開ける間がない)
目を開けたり鼻で息をしたりといった、ごく簡単な動作もできないほど「とにかく忙しい」ときに使います。
日本語にも「息をつく暇もない」「目が回る」など体と関連した似たような表現がありますね。
「正月/설날」や「秋夕/추석」のとき、韓国の主婦たちは大忙しですが、まさにそうした状況を言います。
도마에 오른 고기
(まな板に上がった魚)
고기(コギ)には「肉」の他に「魚」/물고기(ムルコギ)の意味があります。
捕まってまな板の上にのせられ、さばかれるのを待つしかない魚のように、「動きが取れない状況」「絶体絶命」の例えです。
日本語の「まな板の鯉」や「にっちもさっちもいかない状況」にあたります。
새 발의 피
(鳥の足の血)
小鳥の細い足から出ているほんのわずかな血ほどに、非常に少ない量や些細なことを表現する言葉です。
日本語の「スズメの涙」と同じ意味です。
「鳥/새」は韓国語で鳥類全般を指しますが、ここではスズメのような小さな鳥を指します。
마음은 굴뚝 같다
(心は煙突のようだ)
したくてたまらないことがあるのに、それができない時の気持ちを表します。
日本語では「~やまやまだ」といいますが、韓国では「煙突のようだ」と表現します。
どうして煙突に例えるか、ネイティブスピーカーでも分かっていないといいますが、この表現がピッタリくるそうです。
하믿는 도끼에 발등 찍힌다
(信じている斧に足の甲を切られる)
使いこなしていると思っていた斧で怪我をしたら、体も心も傷つきます。
このことわざは「信じていた人やものに裏切られる」ことのたとえで、日常生活の中でよく耳にする表現です。
日本語の「飼い犬に手を噛まれる」と同じ意味です。
찍힌다は切られるという意味ですが、このことわざでは「突き刺さる」のイメージです。
하나만 알고 둘은 모른다
(一つだけ知って二つは知らない)
「物事の一つの側面だけを見て判断し全体を見渡すことができない」あるいは、「一側面は知っているが応用できない」という意味で、柔軟性がなく愚かである様子を指します。
物事の一部を見て全体を見通せないという意味では、「木を見て森を見ず」に通じます。
티끌 모아 태산
(塵集めて泰山)
日本語の「塵も積もれば山となる」と同じ意味です。
태산(テサン)とは大きくて立派な山という意味で、他にも「山積み・山ほど」や「大きく心配・大きく不安」という意味でもでも使われます。
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