죽고 못 산다

죽고 못 산다
(死んで生きていけない )
「それがなくなったら生きていけない」ほど大好きだという気持ちを表現した言葉です。
「アジアのイタリア人」とも言われる韓国人の情熱的直球表現です。
ドラマでも似たような言葉がよくでてきますよね。
子供への愛情表現にも使われますし、「大好物」などの表現をオーバーに使う時もあります。
韓国や韓国文化に慣れ親しんでいただくためによりよい友好関係を築くことを目指しています。
죽고 못 산다
(死んで生きていけない )
「それがなくなったら生きていけない」ほど大好きだという気持ちを表現した言葉です。
「アジアのイタリア人」とも言われる韓国人の情熱的直球表現です。
ドラマでも似たような言葉がよくでてきますよね。
子供への愛情表現にも使われますし、「大好物」などの表現をオーバーに使う時もあります。
쥐꼬리만 한다
(ネズミのしっぽくらいだ)
ネズミ/쥐は「些細なもの」「取るに足らないもの」などの例えとして、ことわざや慣用句に登場します。
そのネズミのしっぽ=「とてもわずかな、ほんの少し」と意味します。
日本語では「雀の涙」と表現します。
가제는 게 편이다
(ザリガニはカニの側だ)
見た目や境遇が似た者同士は、互いに理解しやすく気が合うという意味です。
日本では「同じ穴の狢」「類は友を呼ぶ」と表現しますね。
また、良くても悪くても、似た者同士で庇い合うという意味でもあります。
제 눈에 안경
(自分の目に眼鏡)
他人にとっては大したことがなくても「好きになると魅力的に見える」という意味です。
眼鏡はその人に合って作られるものなので、「自分の目に映っているものは、他人と同じように見えない」ことからきています。
日本では【恋は盲目】にあたる表現です。
우물 안 개구리
(井戸の中の蛙)
日本にもあることわざの一つです。韓国でも「井戸の中のような狭い世界に閉じこもっていると広い世界を知らず考えや知識が狭くなる」という意味で使われます。
・귀가 얇다 (耳が薄い)
他人の意見に影響されやすい
・귀에 익다 (耳に慣れる)
何度も聞いて耳慣れる
・귀를 기울이다 (耳を傾ける)
日本語の「耳を傾ける」と同じ意味で使います。
귀에 못이 박히다
(耳にくぎが打たれる)
耳が動かせないように固定されてしまい、嫌でも聞かざるを得なくなっているようなイメージです。「同じことを何度も聞かされる」という意味です。日本語の「耳にタコができる」という言い回しと同じ意味です。
귀가 가렵다
(耳がかゆい)
「誰かが自分の噂話をしているのではないか」と感じるときに使う表現です。もちろん、実際に耳がかゆいときにも使います。特に耳のかゆみが強いときは、悪口を言われていうと考えられています。日本ではくしゃみが出たら「誰かが噂をしている」といいますが、それと似ています。
천 리 길도 한 걸음부터
(千里の道も一歩から)
「千里」とは非常に遠いこと、遠大なもののたとえで、日本語の「千里の道も一歩から」と同じです。
千里もある遠い道のりであっても、まず一歩踏み出すことから始まるという意味で、「どんなことであれ、最初の一歩を踏み出すことが重要である」ことをさしています。
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