바늘 가는 데 실 간다
바늘 가는 데 실 간다
(針が行く所に糸が行く)
針と糸のように、いつも一緒にいる親密な関係をいいます。
必ず一緒に動く二人、例えば、親友や恋人のことを「針と糸みたいな関係だ」と表現するときによく使います。
韓国や韓国文化に慣れ親しんでいただくためによりよい友好関係を築くことを目指しています。
바늘 가는 데 실 간다
(針が行く所に糸が行く)
針と糸のように、いつも一緒にいる親密な関係をいいます。
必ず一緒に動く二人、例えば、親友や恋人のことを「針と糸みたいな関係だ」と表現するときによく使います。
도토리 키 재기
(ドングリの背を測ること)
ドングリを並べてみてもどれも似たり寄ったりで大差がないことから、「どれもぱっとしない」「抜きんでた者がいない」という意味です。
「似たような程度の人同士が争っている」似たりよったりで、比べてみる必要がないことを比喩的にいうときにも使います。日本語の「ドングリの背比べ」と同じ意味で使われます。
손이 크다
(手が大きい)
手が大きいと、一度にたくさんのものがつかめますよね。この「手が大きい」は、何かを買ったり、ものを使ったり、人に振る舞ったりするとき、「ケチケチしない」ことを意味します。
例えば、びっくりするくらい料理をたっぷり作って振る舞う人を「手の大きい人」などといいます。これは褒め言葉です。
말이 씨가 된다
(言葉が種となる)
種から芽が出て花が咲き大きく成長していくように、口に出した言葉が現実になることをいいます。
ここでの「種」씨(ッシ)は「いつも言っていた言葉が、何かをもたらす原因になること」を意味し、「言葉は慎重に選んで口にしなさい」と相手に注意を促す場合などにも使われます。
서당 개 삼 년이면 풍월을 읊는다
(書堂の犬も三年経てば風月を詠む)
「書堂」서당(ソダン)は朝鮮時代の私塾で、儒教について漢文で学ぶほか、詩分、習学なども習うことができました。
「無学な人も学のある人と長く一緒にいれば、自然に見聞が深まる」ことから、「長い間見聞きをすれば、自然にわかるようになる」といういみでつかわれます。
日本語の「門前の小僧習わぬ経を読む」と同じです。
코앞에 닥치다
(鼻の前に迫る)
ものごとが「鼻の前に」、つまり「鼻の先に」「迫る」様子から、「目前に迫る」「切迫している」「差し迫っている」ことを比喩的に表しています。
「鼻の先」ですから、「もう身動きできないくらい間近」ということです。日本語と同じような「目前に迫る」눈앞에 닥치다(ヌナペ タッチダ)という言い方もあります。
식은 죽 먹기
(冷めたかゆを食べること)
「横になって餅を食べること」と同じ意味です。
おかゆは消化が良く体にやさしいので、韓国では朝食はもちろん、昼食や軽食、また病人食としてもたいへん身近な食べものです。
できたてのおかゆは、体は温まりますが熱さと格闘しながら食べることになります。でも、冷めたおかゆだったら食べるのはとても簡単ですね。
누워서 떡먹기
(横になって餅を食べること)
横になって休みながら食べたほうが楽だということから、労力を使わないで「簡単にたやすくできる」ことをいい、日本語の「朝飯前」にあたります。
「冷めたかゆを食べること」식은 죽 먹기 (シグン ジュン モッキ)と同じ意味です。
누워서(ヌウォソ)は、ここでは「寝そべる」など、くつろいだ様子を表しています。
필름이 끊기다
(フィルムが切れる)
お酒に酔って「フィルムの映像が途切れる」ように「記憶が途切れる」「記憶が飛ぶ」ことです。
韓国では食事もお酒も賑やかに楽しむものと考える人が多く、飲むときにはとことん飲む文化があります。
ビールにウィスキーを混ぜた「爆弾酒」폭탄주(ポㇰタンジュ)も基本は一気飲みですから、忘年会シーズンなどにはフィルムが切れる人も多いようです。
찬물을 끼얹다
(冷たい水を浴びせる)
この慣用表現は、日本語の「雰囲気をぶち壊す」「台無しにする」にあたり、うまくいっているころに割り込んで雰囲気をぶち壊したり、言いがかりをつけて邪魔立てすることをさします。
日本語の「冷水を浴びせる」の意味でも使えますが、日本語が主に個人に対して使うのに対し、こちらは雰囲気にまで幅広く使われます。
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